bassy
1月7日
简介
音楽歴(のようなもの) 中学時代に急にピアノを弾けるようになりたいと思い、近所のホームセンターで1万円ぐらいのキーボードを購入。 当時好きだったオフコースの譜面を買ってきた。 まともに譜面も読めない僕は、4小節弾ける様になるのに半日ぐらいかかった。 でもとても楽しかった記憶がある。 高校時代(男子校)は吹奏楽部に入った。なぜなら女子校と合同練習があったから。 やはり譜面は読めないのでパーカッションを担当した。卒業する頃にはなんとかドラムも叩けるようになった。 ドラムを叩くと目立つのでモテた。楽しかった。 この頃自分でも曲を作ってみたいと思って打ち込みを始めた。まだDTMという言葉は無かった。 KAWAIのシーケンサーと音源モジュールを買った。当時の貯金をほとんど使い切った。 学校のない土日に曲を作るのがとても楽しみだった。 仲の良い友人数名に聴いてもらったりしていた。 大学は文学部だった。軽音楽系のサークルに入っていろいろなコピーバンドをやった。 最初はドラムが多かったけど、途中からはシンセを担当することが多くなった。 オリジナルバンドも組んだ。名前は"イシバシバンド"だった。恥ずかしい。。。 ゲーム音楽を作りたくて、ゲーム会社を幾つか受けたけど、どこも受からなかった。 なので大学卒業後は就職せず、なんのあても無く都内に出た。 何かしら音楽の仕事をしたいと思い。いろいろなスタジオや制作会社に電話しまくった。 たまたまアシスタントを探していたスタジオZ'dにて働かせてもらえるようになった。 作編曲家の深澤秀行氏のアシスタントとしていろいろなプロの制作現場を体験させてもらった。 そこで知り合うディレクターやマネージャーに自分のデモテープを渡したりしていた。 それがきっかけとなりインディーズレーベルよりアーティストとして活動することになった。 名前は"Ageha" インストアライブだったりイベント出演だったりいろいろな経験をさせてもらった。 吉祥寺近辺でストリートライブも沢山やった。CDを2枚出して解散した。活動期間は3年間ぐらいだったと思う。 縁があり、松武秀樹氏のもとで着メロの制作・開発に携わるようになった。 メーカープリセットや配信など、大量の着メロを作った。 そこで知り合った友人とオリジナルのコンビCDを作った。 名前は "I’ve Sound Tribute / Barbarian on the groove" そのCDがきっかけとなりPCゲームの音楽制作の依頼を頂くようになった。 いつの間にかBarbarian on the groove(BOG)は音楽制作チームになっていた。 いろいろなゲーム音楽を作った。 一身上の都合によりBOGを脱退した。 商業作品を手がけつつ、bassy個人名義でも活動を始めた。 いろいろボーカリストの方といろいろな曲を作った 個人での活動にマンネリ化と限界を感じ、ボーカリストChikaとユニットを結成した。 名前は"Nyarons / にゃーろんず" なぜか日本よりも海外で多く聴かれることとなる。 そして現在に至る。 2019 / January
资料
- 性别
- 男
- 生日
- 1月7日
- 血型
- A
参与作品
Galgame · 3 部
